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出典

夏目漱石(1867〜1916)が残した「道草」は、死の前年にあたる1915年の6月3日から9月14日まで、東京朝日新聞大阪朝日新聞に連載された。「吾輩は猫である」を書いていた30代後半の事実に基づいているとされる。
物語は主人公・健三と妻・お住との自我の衝突や精神的なすれ違いと、突然、無心に訪れた養父母・島田夫妻との葛藤を軸に展開する。養子時代の健三が養父母との関係から体得してしまった根源的な不安感の描写は見事。表題のことばは、養父にまとまった金を渡すことで一件落着、という最後の場面で、喜ぶ妻に健三が言う。
漱石はこの作品の直前に執筆した随筆「硝子戸の中」の最終回で、「もっと卑しい所、もっと悪い所、もっと面目を失するような自分の欠点を、つい発表しずにしまった」と書き、「道草」執筆への覚悟がうかがえる。
完成原稿の原本は朝日新聞社長を務めた美土路昌一氏が保管していたが、一昨年、遺族が日本近代文学館(東京都)に寄贈。これを原寸大でカラー印刷した復刻版が今春、二玄社から発売された。

訪ねる

夏目漱石の蔵書は没後、遺族が保管していたが、第二次世界大戦の戦火を避けるため東北大学付属図書館に移された。
洋書1650冊、和漢書1418冊のほか、日記や手帳、学生時代の作文や教師時代の試験問題などがある。小物も興味深く、本の間の挿入物には押し花や、梵字五十音図丸善納品書などがある。大学院時代の講義ノート「美学の起源筆記断片」の欄外にある外国人教授の似顔絵は愛らしい。多くの画像はインターネット(http://www2.library.tohoku.ac.jp/soseki)で閲覧できるが、実物の閲覧は事前の申請が必要。また、7月29、30日に一般公開予定。問い合わせは同図書館(022-217-5939)。
仙台・青葉山には1602年に伊達政宗が建てた仙台城址がある。石垣が残るのみだが、天守閣には正宗の騎馬像が立ち、市内が一望できる。

読む

「道草」とあわせて読みたいのが妻・夏目鏡子(故人)の「漱石の思い出」(文春文庫)。妻の目から漱石の奇行の詳細を語っている。一方、小宮豊隆氏は「夏目漱石」岩波文庫)などで鏡子を悪妻として紹介したが、漱石の次男・伸六氏(故人)が「父・夏目漱石」(文春文庫)で小宮説を否定し、母を援護した。

漱石の内的な葛藤と作品とを重ねて読むには吉本隆明、佐藤泰正両氏の対談「漱石的主題」(春秋社)、吉本氏「夏目漱石を読む」筑摩書房)がわかりやすい。
柄谷行人「漱石論集成」平凡社ライブラリー)、江藤淳「決定版 夏目漱石」新潮文庫)はファン必読書だ。

語録

書簡や日記には漱石の心情がよく表れている。「おれの様な不人情なものでも頻りにお前が恋しい」(1901年、ロンドン留学中に妻鏡子にあてた手紙)、「今に東京へ帰ったら、みんなで遊びましょう」(1910年、胃潰瘍で危篤に陥った際、伊豆・修善寺から娘たちに書いた手紙)など、家族へのあたたかいことばが多い。
「倫理的にして始めて芸術的なり。真に芸術的なるものは必ず倫理的なり」(1916年5月の日記)、「牛になる事はどうしても必要です。吾々はとかく馬になりたがるが、牛には中々なり切れないです(略)根気づくでお出でなさい」(同年8月、芥川龍之介久米正雄にあてた激励の手紙)などは、小説家としての熱い思いを今に伝えてくれる。

朝日新聞編集部・浜田奈美