少し前に新潮社のクレストブックスで、アントワーヌ・ローランの『赤いモレスキンの女』を読んで、近来稀に見る名文(名作ではなく名文)と感動し、ほかにも読んでみたいと思い、同じくクレストブックスから出ている『青いパステル画の男』と、『ミッテランの帽子』の2作を購入。先日から早く読みたいと焦っている。
名作ではなく名文と言うのは理由があるのだが、名作は例えばスタインベックの『エデンの東』だったり、ガルシア・マルケスの『百年の孤独』なんかが名作と言えるだろう。ノーベル賞を取るだけのことはある。ハーパー・リーの『アラバマ物語』も忘れてはいけない。
池波正太郎の『鬼平犯科帳』も立派な名作だし、個人的な好みで言えば、コーマック・マッカーシーの《国境三部作》、ホラーならロバート・マキャモンの『奴らは渇いている』も知る人ぞ知る名作。ファンタジーで言えば、『ハリーポッター』も『指輪物語』も歴史的な名作だろう。
それらと違う「名文」とは?要するに翻訳が優秀ということ。いい翻訳はなかなかお目にかかれないが、アントワーヌ・ローランの作品を訳している吉田洋之さんは、本当に上手い、巧みな翻訳家だと思う。もちろん、名作であるがゆえに名文になるとも言えるのだが。
つまり原文も上手いから、いい翻訳ができるのだと思うけれども、日本語に堪能な(日本人だから日本語に堪能なのが当たり前とは言えない昨今)、翻訳であることをあまり感じさせない本当にいい文章。そういう文章を読めることの幸せを全身で感じる。
今までのフランス文学は、翻訳の上手い人がいなくて面白くなかったというのも大いにあるかもしれない。英米文学だって基本的にはそうだ。
「舌を巻く」という感覚は、実生活ではあまりないけれども、吉田さんの翻訳は「舌を巻く」感覚を味わえる。そういう感覚を味わえるのは、日本人の作家でもほとんどいない。それだけ優秀な翻訳家ということかと。
ひとつ確かなのは、いい翻訳家は作家よりも日本語に堪能でなければダメということ。外国語がペラペラだから翻訳家に・・・なれない。それだけでなろうと思う方が間違い。翻訳家を目指すなら、日本語をしっかり勉強しろと言いたい。
また現代の日本の小説では、美しい日本語にはお目にかかれない。美しい日本語を読みたいと思ったら、外国文学の翻訳、それも古典の翻訳でないと、なかなか綺麗な日本語は読めない。
美しい日本語の翻訳の第一人者は、ジェイン・オースティンの『説得』を訳した早稲田大学の大島一彦さんだと思うが、この吉田洋之さんの翻訳も、古典ではないけれども十分に美しい日本語だ。
こういう本は、心が豊かになる。翻訳もさることながら、やっぱり原文にそういうパワーがあるのだろうと思う。
さて、この2冊、いつ読めるだろうか。他の本との兼ね合いで、年明けになりそうだけど、その後にはコーマック・マッカーシーの未読の本も数冊買ってあるし、かなり長い間楽しめそう。
そうこうするうち、ジョン・アーヴィングの新作の翻訳も出るだろうから(ペーパーバックも買ったから、原書でもいいけど)、しばらくは多忙な読書ライフだ。
読書は他人が邪魔することのできない、自分だけの楽しみ♪他人が、あれを読め、これを読むべきなどと言うのは、大きなお世話でしかない。