す も も の 缶 詰

ツブヤキニッキ

不可解な「存在」めぐる、戦慄の小説─朝日新聞より

英国にある、施設・ヘールシャム。幼少時からともに育ってきた生徒たちが、数人の教師と暮らしている。全寮制の学校かと思いきや、描かれる空気には微妙な違和感がある。


まず彼らには家族が見あたらない。孤児かというと、そういうわけでもなく、その「存在」の感触に、言葉では、説明しにくい不可解さが漂う。望めばいつの日か、好きな人と暮らす程度の可能性はありそうだが、どうやら子どもは産めないらしい。そんなことってあるだろうか?わたしたちが普通に使うような意味での、「将来」とか「未来」あるいは「可能性」などという言葉が、彼らにはどうも、うまくフィットしないのだ。


若者たちは施設にいるあいだ、仲間たちと密接な関係を育み、詩をつくり絵を描く、一見降伏そうな日々を送る。だが施設を出たあとは、「介護人」あるいは「提供者」となって、孤独な生活を強いられるようになる。誰を介護するのか、何を提供するのか。すべては明確に説明されぬまま、作品は注意深くミステリアスに進む・・・。


著者、カズオ・イシグロは日本人として生を受け、幼い頃に英国に渡った。厳密な意味で母語ではない英語で書く作家である。不条理な世界に取り残されたような人間(それは私たちのことに他ならないと思うが)が、多くの作品に登場し、彼らの魅惑的な語りを通して、いくつもの豊穣な物語を生み出してきた。


本書では、穏やかな知性と豊かな感受性を持つキャシーという女性が語り手である。彼女もまた、あの施設で育ち、今は「介護人」として働いている。彼女の繊細で音楽的な語りは、読み進めるにしたがって、ああこの人は信じられるという不思議な友情を読者に感じさせる。ヘールシャムでの膨大な過去をゆさぶりながら、人が確かに生きたという証を丁寧に紡ぎ出していくその手つきは、母のように懐かしく慈悲があり、証人のようにおごそかだ。


その語りによって真実は、薄皮をはがすようにあきらかになっていくが、それでも最後まで、あれはいったい、どういうことだったのだろうと、謎のままに残される細部もある。しかしその謎は解明されずに残されるからこそ、まぎれもない生の温もりを持って記憶の底でいつまでもうごめく。


わたしたちは、何かの目的のために生まれるわけではない。生まれるために生まれ、生きるために生きる。なぜ、生きていくのか、わからないままに、先の見えない暗闇を進んでいく。ある目的のもとに生を受け、役割をはたして死ぬ彼らは、その点で私たちとまったく異なってみえる。だが、どんな圧力が彼らの生を限定し未来を縛ろうとも、命それ自体は、目的など無効にして、ただ生きようとするのだ。生きるために。その矛盾と拮抗がこの小説に、深く大きな悲哀をもたらしている。


「複製」の概念が「命」の本質を押し潰そうとする戦慄の小説である。まだ誰もこのことを経験したことがない。でも知っていたという既視感がある。そこが真に恐ろしい。─小池昌代(詩人)