す も も の 缶 詰

ツブヤキニッキ

朝日新聞書評

ある日、4歳の愛娘がガンを告白された。大学教授のパパは勤めを切りつめ、医学書を読み漁り、娘と一緒にお絵かきを習い、セーラームーンごっこに興じる。抗ガン剤、脱毛、手術、再発といった過程を記す著者の筆は、対象を突き放せば突き放すほどにじみ出てくる悲しみや喪失感に彩られ、深い感動を呼ぶ。


しかし同時に本書は、一人の作家が生まれる内的過程を綴った教養小説として読むこともできる。ソレルスを研究する比較文学者の著者は、「想像したり観察したりできない」自分は創作には不向きだと思っていたが、娘の死を機に書かずにはいられない衝動にかられたのである。


死に関する本は沢山出るが、どれもかんじんのところは避けて通っている、と著者は書く。「これみよがしの悲壮感(パトス)なし!だが、そうすると真実は、実際に生きられた不安と悲しみのあの耐え難い結び目は、どうなってしまうのだ?」


とはいえ、書くことの無力は著者を苛む。描写しようとしたとたんすりぬけてしまう言葉。どうあがいても忘却を防げないもどかしさ。やはり子どもを失ったマラルメは、息子のために書こうとした本を完成させることができなかった。


試行錯誤の末に作者が選び取ったスタンスは、大昔の狩人が洞窟の壁に残した手形である。「僕はもういない。いただけである」と語るために。「小説は、時間のなかでの勝利─密やかで無意味でささやかな─、栄光のない記憶喪失の厚みのなかに、こっそりと開かれる」


本書を書くとき、著者が下敷きにしたのは日本の私小説だった。というより、彼が私小説の範疇に属すると考えていた三島や太宰、漱石の作品。とりわけ、父親の苦悩を真正面から描いた大江健三郎には励まされた。のちに著者は、彼らの大半が、厳密な意味での私小説を批判した人たちであることを知るのだが。


主観性を旨とする日本の私小説は、客観性を旨とする西欧の自然主義への大いなる誤解から生まれたという。とすれば本書は、日本の私小説に対する「美しい取り違え」から生まれたといえよう。─青柳いづみこ(ピアニスト・文筆家)