トム・ハンクスの小説家デビュー作である『変わったタイプ』を読了。はなから作家と言っても通用する、まともな作品だった(笑)
トム・ハンクスの映画を観ていれば、ロマンスからミステリー、戦争ものまで何でもこなす器用さが、彼の感性に幅広い影響を与えているだろうから、小説家としても失敗はないだろうと思っていたが、その通りだった。
約450ページ程の分厚い本は、その分厚さが個人的に好みだったのだが、開いてみたら「短編集」で、短編より長編の方が好きな私としてはちょっとがっかり。
昨今、ジョン・アーヴィングのように分厚い長編を書く作家は少なく、短編の方が多いように感じるのだけれど、私の誤解だろうか。いい短編は長編より難しいと言われるように、短編はなかなか気に入る作品がないのは事実。
アレクサンドル・デュマの『モンテ・クリスト伯』(巌窟王)のように、あれだけの長編を息も継がせずに読ませるという作家は、現代ではJ・K・ローリング(ハリーポッターシリーズ)くらいしかいないかも?そのローリングも、ハリーポッター以外は面白くないのだが。
肝心の内容はと言うと、短編に多い「日常の一部分を切り取ってそのまま投げ出した」(by サマセット・モーム)ものとは違い、起承転結のある、よく考えられている話だと思う。他にSFあり、脚本形式あり、新聞形式ありのバラエティに富んだ内容で、なかなか面白かった。個人的にはタイムマシンを題材にしたSFものがお気に入り。
とはいえ真新しい感じではなく、どこかで読んだような感じ(内容ではなく)がずっとあって、雰囲気なのか、文体なのかよく分からないが、パトリシア・ハイスミスとかそのあたりの昔のSF作家の作品を読んでいるような気がして仕方がなかった。
それと気になったのが、訳された日本語に時々不自然な部分があり、何度もその部分を読み返したこと。
翻訳は、今や大御所と言ってもいい小川高義さんなので、小川さんが下手な訳をするとも思えないし、原文がそうなのかもしれないが、結構気になってしまった。
小川高義さんは、アーサー・ゴールデンの『さゆり』で名前を覚えた人。なのに『さゆり』は未読。
ジョン・アーヴィングの『ピギー・スニードを救う話』『また会う日まで』『第四の手』も小川さんだし、他にジュンパ・ラヒリの『停電の夜』、エリザベス・ストラウトの『オリーブ・キタリッジの生活』なども。これらは全部読んでいるけれど、これまで日本語が変だと思ったことはない。
さらには、トルーマン・カポーティ、F・スコット・フィッツジェラルド、O・ヘンリー、アーネスト・ヘミングウェイ、エドガー・アラン・ポーなどの古典も訳されているので、押しも押されぬ翻訳家の大御所だと思うけれど、改めて考えてみると、小川さんが翻訳した本で、個人的に気に入っているものはないかも。
唯一、アーヴィングの『第四の手』は気に入っているけれど、これは原書を読んで気に入ったもの。カポーティも好きだが、好きな作品の翻訳は小川さんではなかった。そう思うと、私と小川高義さんの相性が良くないのかもと思えて来る。今まで考えたこともなかったけれど(小川さんに関しては)、そういうこともあるかな。
それまで好きでなかった本が、新訳で翻訳家が変わったら好きになったこともあるので、翻訳家との相性は結構重要だと思う。
そういう意味ではトム・ハンクスはまだ1作目だし、他の翻訳家の翻訳はないし、作家としてのトム・ハンクスが好きかどうかは、まだ何とも言えない。