す も も の 缶 詰

ツブヤキニッキ

朝日新聞より

最近、英国の海岸をびしょぬれのスーツで歩いていて保護された、謎の「ピアノマン」が話題になった。記憶を失っているらしく、素性もわからないが、ピアノの腕前だけはたいへんなものとか。


本書の主人公アンドレアも、その境遇がとても似ている。ただ、彼が生きるのは18世紀末のヴェネチア。しかも最初、干潟のぬかるみに埋まった小舟のなかで、「死体」として発見された。その後意識を取り戻すのだが、記憶は喪失。魚にやたらと詳しかったり、魚みたいに達者に泳いだり、火におびえたりと、手がかりめいたものはあるが、彼が「誰であったか」は最後までわからない。


しかし彼が、「誰になったのか」は、最後の最後でさりげなくあかされる。


彼には、すばらしい絵の才能があった。実在した、ある画家がモデルになっているのだが、ここではまだ、その名を明かさないでおこう。著者のまったくの創造によって作られた物語だが、かの画家の絵を最後に重ねてみると、本書の奥行きはさらに広がる。


アンドレアと女主人カテリーナの、「禁断の恋」の行方も本書の読みどころ。水上の交情場面を始めとする、官能シーンがすばらしい。ふたりで乗り込んだゴンドラのなかで、カテリーナは待ちかねたように、カーテンをひく。「たちまち薄暗くなった部屋の中で、隙間からもれてくる光線が、船の揺れにつれて、天井、壁そして床へと飛び回る」。暗い船室の光と影。古都ヴェネチアを流れる、とろりとして暗い水の質感は、秘められた恋の質感そのものだ。


彼らの不義の恋は密告され、アンドレアは入獄。恋は終わる。だが少しもかわいそうという感じはしない。彼はその後、画家として立ったことが示唆されるし、カテリーナは、彼女にふさわしい、平凡で穏やかな日々を送った。恋愛小説というよりも、芸術家小説と呼ぶほうが、ふさわしいのだろう。


欲を言えば、名画のようなこの世界に、あと少しの混沌と混濁が欲しいような気も。しかしそれは、本書の役目ではないのかもしれない。─小池昌代(詩人)