残りあと1冊で悲しい!と嘆いていた『鬼平犯科帳』。10/3に遂に24冊全巻読み終えてしまいました。読み終えたら、感想文にあれも書こう、これも書こうと思っていたのに、いざ終わってしまったら、何も書けずに日が過ぎてしまいました。
文春文庫のあとがきには、植草甚一や常盤新平、栗本薫などなど、錚々たるメンバーの鬼平ファンが思いのたけを寄せているから、時代小説を読み始めて間もない私が、今更感想を書くのもおこがましいのだけれど、それにしても何を書いても物足りない、書けば書くほど虚しくなる。だって、最後は長篇なんだけど、これから!というところで
《作者逝去のため未完》
って、唖然として言葉が見つからなかった。
もちろん、作者の池波正太郎氏が亡くなっていることは分かっているけど、ここで!?という感じ。鬼平の終わり方はどんなんだろう?感動して泣くかもなどと、あれこれ巡らせていた思いの糸が、プツン!と音を立てて切れました。
最後の物語は、個人的に気になっていた尾行の達人、同心・松永弥四郎が活躍しそうな話だったので楽しみに読んでいたのに、それも志なかばで夢破れたりな感じだし、何より盗賊一味に誘拐されたおまさはどうなったのか?
《作者逝去のため未完》
神様、これはあまりに酷です(号泣)。
残りあと1冊という時にも、終わってしまうのが残念で仕方がない旨を書いたけれど、残念も何もそういう終わり方だとは思ってもいませんでした。
元々、D・H ロレンスのような「生活の一部を切り取ってそのまま投げ出したような」(サマセット・モーム曰く)作品は苦手で、それこそサマセット・モームが書くような起承転結のはっきりした物語が好きな私にとって、『鬼平犯科帳』はまさに大当たり。そこに粋と人情と温かさが加われば、苦手だとか嫌いだとか言う方が難しい。
奇しくも、弟が亡くなる前日から読み始めた『鬼平犯科帳』。その後の誰にも話せない、またコロナで誰に話す機会もなかった、悲しみを越えた諦めの気持ちを、鬼平の温かい心配りの数々に一日また一日と慰められました。
直接言葉をかけられたわけでもないのに、現実には期待するべくもない人の情け、温かさに、心底救われたと言っても過言ではありません。鬼平なら、きっとこう言ってくれるだろうと想像するだけで、心が安らぎました。それがあったから生きて来れた。心の叫びは、全て鬼平が受け止めてくれたように感じます。
もちろん小説はフィクションだから、こんな人が現実にいるかどうかははなはだ疑問ですが、鬼平のように人を救える、あるいは人の「心」を救える人間になりたいと思うようになったのは、自分にとって良い事だったと思います。どんな道徳の教科書よりも勉強になりました。この読書体験は、今更ながらに私の人生を変えるかもしれないと思います。
というわけで、鬼平への思いは到底書き切れないのだけれど、最後に、そう思えるような鬼平を描いてくれた池波正太郎氏に、最大限の感謝の気持ちを贈りたいと思います。また、時代小説の扉を開いて下さった作家の芦川淳一さんにも、心よりお礼を申し上げます。