入院していた伯母が亡くなりました。コロナではありませんが、コロナのせいで面会禁止で、遂に会うことは叶いませんでした。実の娘や息子も、入院中ほとんど会えなかったらしい。
介護施設にいる母に会えない事は何度も書いていますが、「withコロナ」では施設だけでなく、病院に入院している人にも会えません。3月に弟が亡くなった時も、一応コロナの検査をしなければならず、遺体が返されたのは翌日の夕方で、その後四十九日の法要にも行けませんでした。
さらに名古屋にいる姪が結婚したのですが、結婚式をしたくてもできないので、祝ってあげることもできませんでした。8月末に子供が産まれるのに、実家に帰ることはおろか、両親も会いに行けずにいます。
感染症が厄介なのは、自分だけでは済まないこと。感染したら周囲に多大な迷惑をかけ、その中の誰かを殺してしまうかもしれないこと。
どれも不要不急ではないと思うけれど、誰かに感染させてはいけないから、悲しいことも嬉しいことも泣く泣く我慢するしかない。特に東京にいる私は、行くだけで迷惑をかけると思うと、どこにも行けません。
上記のことは個人の事情だし、反論もあるかもしれないけれど、感染が拡大している時期に旅行なんかに行くというのは、私からすれば信じられない。非常事態宣言解除=安全ではないのに、安全だと勘違いしている人がいるのが危険だし、感染拡大していても、政府が非常事態宣言してないからいいんだと思う人も多いのが信じられない。
特に医療機関の充実していない島などに行く人の神経を疑います。事実、与論島で感染が拡大し、島内にはそれだけの医療機関がないからヘリで本土に運ばれており、島民には多大な迷惑をかけ、また無駄な税金が使われている。そういう国民がどうこうというより、そういう事が起こるだろうと想像もできず、全国に人を移動させる事を推進している政府に怒り心頭。
自分は元気だから大丈夫と思うのかもしれませんが、「withコロナ」のままだったら、万が一自分の家族、両親や祖父母、あるいは友達や恋人などに何かがあっても、面会禁止で会う事もできないかもしれないんですよ。それを考えた事ありますか?
逆に自分がコロナに感染し、重症化して亡くなるような事があっても、誰にも会えず一人で死んで、お葬式も何もなく一人きりで焼き場で焼かれるんですよ。例えコロナじゃなくても、病院に入院するような事になったら、病院は面会禁止だから一人寂しく死ぬことになるでしょう。
withコロナ!新しい生活様式!なんて明るい未来のキャッチフレーズのように言われてますが、ウィルスがある限り、明るい事なんて何もありませんから。
私は政治家じゃないから、ああしろ、こうしろとは言えませんが、国民の命を守り、経済を回していく、より良い策を考えて実行するのが政治家ではないのか?と思います。人を移動させるなら、検査なり何なりそれだけの事をしっかりやってからでしょう。経済、経済と言っても、感染が拡大して医療崩壊し、助かる人も助からなくなったら本末転倒。
「withコロナ」や「コロナとの共生」なんて言うのは、私は承服しかねます。コロナがなくなることはないと言ってしまうのはあまりに希望が無さ過ぎます。そう言う前に、全力で撲滅させようという意識をなぜ持たないのか?例えゼロにするのは難しくても、ゼロに近づける努力はするべきでしょう。
今の政府には期待などできないかもしれないけれど、政治家だけでなく、国民も同様。政府に期待できないなら、さっさと見限って各自が自衛するしかない。実際に行動するのは国民だから、一人一人が危機感を持って感染を拡大させないような行動をするしかないと思います。
その為には自粛は必須だと思うけれど、数ヶ月の我慢がなぜできない?中途半端に解除するから、全てが中途半端で前より悪くなる。そんな事を続けていたら、いつまで経っても感染者は減らないし、大事な人にも会えないし、一人寂しく死んでいくしかない。その事自体は生活のほんの一部かもしれないし、その時にならなければ他人事だろうけど、今の状態ではいずれ誰しもが直面する事態だと思います。
じゃあ経済はどうするんだ?と言われるかもしれないが、それはもう一度言いますが、政治家の仕事。無能で無策、自分達の利権しか考えない政治家は変えるしかない。来年のオリンピックの為に、またデータを改ざん、隠蔽するような事があるならば、もう日本は終わりだと思います。
優先順位は、何はなくとも国民の命。多少の犠牲はやむを得ないなどと言うのは、他人事としか見ていないからです。自分が、あるいは自分の身内が命を失うような事になったら、そんな事言えますか?
何度も言いますが「withコロナ」じゃダメなんだ。「コロナと共生」なんて真っ平ごめんです。一日も早く「感染ゼロ」の社会が来ることを祈ります。実際にゼロになった国もあります。けして不可能な事ではありません。