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『ナボコフ=ウィルソン往復書簡集』

『ナボコフ=ウィルソン往復書簡集―1940-1971』ウラジーミル・ナボコフ (著), エドマンド・ウィルソン (著), サイモン・カーリンスキー, 中村 紘一, 若島 正

  • 価格: ¥5,040 (税込)
  • 単行本: 489 p ; 出版社: 作品社 ; ASIN:4878934859 ; (2004/12)

朝日新聞書評─高橋源一郎(作家)
一人はエドマンド・ウィルソン。二十世紀のアメリカを(いや、世界を)代表する文芸批評家。もう一人はウラジーミル・ナボコフ。ロシアに生まれ、アメリカにわたった亡命作家。こちらも、二十世紀を代表する偉大(で偏屈)な作家と称される。この二人の間で、およそ三十年にわたって交わされた書簡を集めた。


最初のうち(というか、ほぼずっと)、ナボコフはウィルソンにこう書き続ける。「とても君に会いたい」「とにかく、バニー、すぐに会えることを願っている。どうかもっと手紙を書いてほしい」「君にぜひ会いたくてたまらない」


この頃、アメリカでは、無名の亡命作家にすぎないナボコフには、庇護の手を差し出すウィルソンへの甘えの気持ちもあったのか。もちろん、ウィルソンもまた、ナボコフの途方もない才能に惚れ込み、孤独な作家のためにあらゆる便宜を図ったのだ。批評家として、作家として、お互いの力量を認め合う二人。にもかかわらず、こと文学や政治となると、一転して、激しいバトルの応酬になる。


「このロシア語の詩法という問題を論じつくしておこうと思うが、それというのも君はまるで間違っているからだ(ナ)」「いくつかの関連事項では、君は道を踏み外しておろかにも片意地になっている(ウ)」「私や『ロシア人自由主義者』のことを君はほとんど何もわかっていないことになる(ナ)」「(『ロリータ』について)これはこれまで読んだ君のどの作品よりも気にいらない(ウ)」


このような激情が、時には二人を遠ざけ、けれど和解し、やがて、応酬は減り、一年に一度ほどの静謐なやりとりへと変化していく。求め、理解することを要求し、時には難癖をつけ、それでも会いたいと言いつづける。これは、恋人に対する態度ではないだろうか。


そう思えた時、我々は、まるでナボコフ自身の自伝的名篇『記憶よ、語れ』の中に埋め込まれるべき遠い昔のラヴレターを読んでいるような錯覚に陥る。だが、それは当然ではないか。作家は批評家という恋人を、批評家は作家という恋人を、いつも捜し求めているのだ。