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朝日新聞書評─SF映画で教わる「知」の世界

哲学や哲学史をきちんと学んだ人には滋養になる類の本ではない。しかし、哲学書は読まずとも、人間とは何か、人生に意味があるのか、などと思い悩んだ覚えのある人、とりわけ私のように、難解な本を読みかけてはいつも放り投げてきた人間には、一気に読めてかつ、それだけで深遠な学問の受講許可証をもらったような気にさせてくれる愉快な本である。


何しろ、教材はすべて話題になった近年のハリウッド製SF映画だ。「フランケンシュタイン」で実存主義が解る、「トータル・リコール」&「シックス・デイ」でアイデンティティ論が、「インビジブル」でカントが、「スターウォーズ」でニーチェが、「ブレードランナー」で死の意味が・・・と続く各章のタイトルを眺めるだけでも楽しくなる。


著者は、ウェールズ生まれの哲学教授。哲学の命題をわかりやすく、と工夫した
自分の授業の内容を本にしたらしく、「採り上げている論点をつかめば、たいていの大学の哲学概論コースを難なく修了できる」と、序文に書く。


なぜSF? 人間とは異質のものとの遭遇が中心、他者との遭遇は自身の姿を真正面から映し出す鏡だから。にしてもなぜ映画? 抽象的な問題や議論が視覚化され、これに優る哲学の学び方はない。などなど、明快である。


たとえば、アーノルド・シュワルツェネッガーが殺人サイボーグになる「ターミネーター」を素材に、「心」とはいったい何なのか、のいわゆる「心身問題」を解きほぐす。「物質的なものではない」とする「心身二元論」から、人間は純物質的なものでそれ以上のものではありえないとする「唯物論」(経済学のそれではない)へと進み、究極には未来のメカニカルな知性体出現の可能性へ、と議論が展開される。


トム・クルーズが、予知能力を持つ子供たつによって殺人を犯すと予知される主人公に扮する「マイノリティ・リポート」では、「自由意志」や「決心と行動の因果関係」が考察され、「決定論」や「非決定論」「主体因果説」などの学説に次から次と問いが投げかけられる。自分が指を動かせと指令する前に、実は指を動かす脳の活動は始まっているとの有名な実験結果なども紹介され、人間は本当に自由なのか、すべてが自分で制御できないことの結果ではないのか、などと考えこまされることになる。


著者はシュワちゃんの大ファンらしく、随所で「大哲学者だ」と称賛している! 反面、サルトルは「史上最もルックスがよろしくない哲学者」、ハイデガーは「常に出世を狙っていた」、デカルトは「昼時まで寝ているのが好きだった不精者」などと、本物にはいやみなコメントを加える。とはいえ、決してトンデモな本などではない。遊び心にまぶして人間存在の不思議さ、奥深さを、教えてくれるのだ。


─[評者]佐柄木俊郎(ジャーナリスト)