す も も の 缶 詰

ツブヤキニッキ

圧倒的なスペクタクル感覚、社会の矛盾を描く(朝日新聞より)

去る8月末、米国のニューオーリンズを襲った大型ハリケーンカトリーナ」の正体をめぐって、9月なかばに驚くべき解釈が登場した。あれは日本のヤクザがロシア製ハイテク機器を使い人工的に起こしたもので、原爆投下への報復だった、というのである。アイダホ州のTVキャスター、スコット・スティーブンスの仮説だが、本人は提唱した直後に退社したらしい。そういえば10年前、阪神大震災の時には、アウム真理教がそれを大国の地震発生兵器によるもの、と決め付けたことがあった。


このふたつの珍解釈がそろいもそろって、かの発明王エジソンのライバルと呼ばれたクロアチア出身の技術者ニコラ・テスラの未完の理論をもとにし、一種の環境テロの謀略を想定しているのは興味深い。天災が人災であり、しかも科学技術の天才のしわざではないのかという、限りなくトンデモ本に近い噂。だが科学者作家マイクル・クライトンが着目したのは、こうした噂こそが新たな神話を生み、新たな疑似科学を支え、しかも真偽よりも「恐怖」のほうを撒き散らしかねないという、高度情報化社会の構図である。


ストーリーはあいかわらず巧みだ。03年、太平洋の島嶼国家ヴァヌーツが、地球温暖化による海位上昇が進めば、海抜1メートルしかない国土が水没しかねないのを恐れて、温暖化の元凶とされる二酸化炭素排出量では世界最大のアメリカ合衆国を相手取り、訴訟を起こす。それを支えるのがNERF(アメリカ環境資源基金)で、全費用を大富豪ジョージ・モートンが受け持つ。


だが、地球温暖化はほんとうに科学的に確証された真実なのか?それが真実としてまかりとおっている背後には、特定の人間の意図や権力が介在し、一部の人々だけが経済的恩恵に浴しているのではないか──そうした問題意識により、本書は地球温暖化を信奉する環境保護思想家たちと「環境教の熱烈な批判者」たちとの、激越で時にコミカルな論争を描く。


奇妙なタイトルは、後者の代表格である社会学者ホフマン教授が、現代において支配的な<政治・法曹・メディア>複合体が、たとえ根拠がなくとも何らかの恐怖を広め大衆を操作してしまう構図を「恐怖の極相(ステイトオブフィア)」と呼ぶところに起因する。やがて肝心のモートンが交通事故に遭って失踪し、高度に組織化された環境テロリストたち、いわば前代未聞の「ネットワーク化した敵」を相手取る「ネットウォーズ」の火蓋が切って落とされる・・・。


これまで環境テロリストといえば、ホテルや住宅や森林などを焼き討ちすることで知られてきたが、本書ではミサイルを利用して嵐を起こして津波を発生させたりするのだから、スケールがちがう。自然を保護すべき人々がなぜテロに走るのか、そもそも自然と思われたものはどこまで自然だったのか──圧倒的なスペクタクル感覚をたっぷり味わったあとには、現在社会が抱え込むさまざまな矛盾を考え込ませる問題作である。─(巽孝之・慶応大学教授=アメリカ文学