す も も の 缶 詰

ツブヤキニッキ

朝日新聞より

感動と理解は、必ずしも一致しない。たとえば、「平均律」の理論は理解していなくても、バッハの「平均律クラビーア」に感動できるというように。それと同じで、超ひも理論はちんぷんかんぷんでも、演奏家の語り口一つで、宇宙を統べる壮大な統一理論の夢に魅せられることはできる。


科学とか数学というと、難しくてよくわからないからといった理由で、とかく敬遠されがちだが、理論や実験の詳細は理解できなくても、化学やソフィーが語りかけるメッセージやドラマを楽しむことは可能である。一般向けの科学書や数学所がおもしろくないとしたら、それは、内容が難解なせいではなく、読み物としての出来が悪いせいなのではないか。


本書は、近年収穫の多かった数学書のなかで出色のおもしろさである。物語の主人公は「素数」。素数とは、2、3、5、7、11など、1と自分自身以外では割り切れない正の整数(自然数)のこと。


素数は、古来、多くの数学者を虜にしてきた。あらゆる数学は、素数うしのかけ算として表せるからである。つまり、数学の元素のようなものと考えればよい。ところが、元素の周期律表は一定のパターン(周期)を示すが、素数を表にしても、そこにはいかなるパターンも認められない。数学はパターンと秩序を尊ぶ。なのに、100番目あるいは2000番目の素数を予測する公式を、数学者は見つけられずに来た。


むろん、素数の謎に迫った数学者はいた。19世紀ドイツの数学者ガウスは、たとえば5万とか10万以下の素数が何個あるかを予測する式を編み出した。だがそれはあくまでも近似式であり、素数の法則を突き止めたわけではない。その弟子リーマンは、師の衣鉢を継ぎ、素数の分布のしかたを予想する「リーマン予想」が、本書の第二の主人公である。


じつはこのリーマン予想、150年近くたった今も、証明されていない。300年来の難問フェルマーの定理が解けた今、数学に残された未解決の歴史的難問の一つなのだ。


そもそもページの余白への書き込みで予想されたフェルマーの定理は、数式としてはきわめて単純なものだった。それに対してリーマン予想は、1200字というこの紙幅をもってしても説明しがたい。というか、じつはかくいう筆者も、リーマン予想の核をなすゼータ関数なるものがよくわからない。それでもなお、著者の筆力もあって、本書を読み通す上で、さほど痛痒を感じなかった。


思うにその理由は、「ゼータ関数の風景」とか、素数の「音色を奏でるオーケストラ」、「混沌とした素数の満ち潮」といった比喩が想像力を刺激し、並みいる数学者の挑戦を退けてきた素数が開く広大な地平を、心地よく鑑賞できたからだろう。最近になって、素数量子力学との関係まで浮上してきたと聞かされると、数学と自然界の深淵を覗き見た思いにさせられる。─(渡辺政隆サイエンスライター