す も も の 缶 詰

ツブヤキニッキ

朝日新聞より

飛行機で簡単に移動できる現代と比べ、中世の旅は危険で辛いものだった。だが、中世の人々は想像以上によく旅をし、世界を体験した。巡礼者、聖職者、特使、学生、商人、職人等々。憧れの都へ、また未知なる辺境の土地へ。旅と文化的出会いが本書のテーマだが、相互理解や実りある文化交流より、そこで生まれた葛藤、誤解や偏見への考察が興味深い。


中世史が専門のドイツ人著者の守備範囲はめっぽう広い。旅を通じた異文化接触の面白い例が次々に披瀝される。まずは、アルプスの北と南を結ぶ旅。文化も経済も優越するイタリアの旅人が野蛮なドイツを酷評する記述は痛烈だ。暗くて不毛な土地。粗野な生活様式と未開の風俗。まずい食事とマナーの欠如。逆にドイツ人は、アルプスを越えてイタリアに入った途端、ぼられる不安に襲われ、「金に汚いイタリア野郎」の観念を抱く。「永遠の都」ローマにも同じく幻滅して帰国する。今と変わらぬ姿に思わず苦笑。


次の読みどころは、西と東を結ぶ旅。ラテンヨーロッパ出身者は、クレタ島でローマ教会に敵意を抱く正教徒達と出会い困惑した。典礼の方法がいかに奇妙かを描写する。オスマン世界では、捕虜になった何人ものヨーロッパ人が、トルコ社会に深く入り込み、価値ある報告を残した。イスラム教に改宗しようかと思い悩んだ人物もいるという。中世の旅の象徴は、聖地エルサレムへの巡礼だ。偏見と憎しみに固まる異教徒の間をぬっての聖地への旅。ロバでエルサレムに向かう途中、村人達から罵声を浴び、粘土や石を投げられたという。一方、敬虔な異教徒との個人的出会いから、ムスリムへ深い理解を示す文章を残したヨーロッパ人もいたという説明に、ほっとさせられる。


旅の誤解の極め付きは新大陸に到達したコロンブス、というのが面白い。マルコ・ポーロの本を重要な情報源としたコロンブスは、自分が着いたキューバはアジア大陸の一部だと思い込み、ハイチをジパングと生涯信じ続けたのだ。


夢や幻想も現実を変える力となる。誤解や偏見も人類の社会の成熟とともに解決される。少なくともそう信じたい。─陣内秀信(法政大学教授=建築史)