す も も の 缶 詰

ツブヤキニッキ

朝日新聞より

ふとしたことから、人類が滅んだのちの未来の地球で目を覚ます主人公、チャーリー・ジョンズ。その世界は「レダム」と呼ばれ、銀色に輝く世界に向かって紡錘形の建物がそびえ、人々は見えないエレベーターにでも乗っているかのように全速力で空中を上下する。


住民はみな奇妙な服をまとい、男とも女ともつかない。そこでは「Aフィールド」なる万能テクノロジーがすべての環境を整え、「セレブロスタイル」なる記録装置が個人の思索を他人に移植することで高度な学習効果を上げる。男女の原理を超越したレダム人が神のごとく崇拝するのは、子どもたちだ。


ところが、すべてのエネルギーから開放されたように見えるユートピアにも、過去の遺物である人類の中からチャーリーを連行するべき理由があった─。


もちろん、両性具有の世界や女性だけの世界を描くSF小説は、アーシュラ・K・ル=グウィンをはじめ決して少なくない。しかし「キャビアの味」とも評される技巧派スタージョンが1960年に書き上げ、「幻の名作」と噂されてきたこの長編小説は、一味も二味も違う。


作中、レダム人のフィロスは人類が何千年もの間、ひたすら外部にばかり注目してきたことを批判し、いまは「外部ではなく内部に集中することでバランスを取る必要があります」と述べるが、この発言は間違いなく、57年のスプートニク打ち上げ以降に火がついた米ソの宇宙開発競争を皮肉っているだろう。


とはいえ、作家は必ずしもレダム世界を全面肯定するわけではない。それどころか、超人類であるレダム人がなぜか人類の子どもを産み落としてしまうという大事件が起こり、この未来世界の驚くべき真相が明かされる。


本書は20世紀中葉の保守的な男女観を批判しつつ、素朴な両性具有論の限界をもあらかじめ洞察してやまない。いかなるユートピアニズムもテロリズムと表裏一体であるのが明らかになった今日だからこそ読まれるべき、これはスペキュレイティヴ・フィクション(思索小説)の傑作である。─巽孝之(慶応大学教授=アメリカ文学