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ツブヤキニッキ

隈研吾デザイン

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故郷の町。利根川に架かる橋の際にある道の駅に併設されたレストラン。新国立競技場を造った隈研吾氏のデザイン。(※写真は昨年の3月のもの)


これは個人的な好き嫌いの話だけれど、隈研吾氏のデザインは、全然好みではありません。昨年の1月に初めて新国立競技場に大学ラグビーを観に行きましたが、新しいスタジアムに足を踏み入れるわくわく感は全く感じませんでした。


新国立競技場の場合はデザインというよりも、座席の前後のスペースがすごく狭いとか、座席の列が長すぎて出入りが不便などの構造上の不具合が多く、いくらラグビー好きでも、また行きたいと思えない造り。万一災害でも起きたら、避難するのも困難そうです。それらも含めて建築家のデザインなのでしょうが。


そもそも旧国立競技場は、オリンピックの為ではなく、座席が狭いから建て替えすることにしたのではなかったか?と。それがオリンピックの為に、観客を詰め込めるだけ詰め込む造りになって、以前より狭苦しい感覚に陥り、個人的には非常に不満。ましてやこのコロナ禍で、あの座席

に座りたいとは思えません。


IOCのバッハ氏も、グラウンドから眺めただけではそういう事も分からないでしょう。


ちなみに、故郷の道の駅のレストランの方は、地域の食材を使った料理が人気だそうで、しばしば長蛇の列を見かけます。この季節はお花見の車とレストラン目当ての車で橋が埋まるほどに混雑することも。さらに好評につき、2軒目も建てられました。


これは隈研吾氏のデザインは全然関係ないと思います。外見も大事だけれど、重要なのは中身ってことじゃないでしょうかね。月並みだけど。建物の話に限ったことではありませんが。




母に会えずに丸一年

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実家の弟が急逝した後、母がショートステイを経て正式に介護施設に入所したのが、昨年の今日でした。


その日、別のショートステイ先に車で迎えに行ったのですが、これでやっと家に帰れると安心していたのでしょう。入所先に着いた時、車を降りるのを嫌がりました。


スタッフが来てなだめて、なんとか車から降ろし、そのまま部屋に連れて行かれたので、別れの言葉も何もなく、以来コロナのせいで一度も会う事なく、声を聴くこともなく、一年が過ぎました。


自分が東京、それも感染者の多い新宿に住んでいることもあり、直接には会えないし、電話もできないので、唯一繋がる手段として手紙だけは送り続けていますが、それも一方通行です。


最初は楽観的に、時が経てば状況は良くなるだろうと思っていましたが、GOTOだのオリンピックだので、状況はむしろ悪くなる一方。


疫病は自然の災害だから仕方がないとしても、今は政府は一体何をやっているんだという怒りしかありません。日本の場合はもう政府による人災です。公衆衛生において、こんなに後進国だとは思ってもいませんでした。


コロナに感染した人だけが辛いのではありません。コロナには関係のない病気のひとも含め、その家族や周囲の関係者などどれほど多くの人が辛く悲しい思いをしていることか。


何度も何度も言いますが、ウィズコロナなんて冗談じゃない。たとえゼロにするのが無理だとしても、ゼロコロナを目指さなくてはいつまでも終わらない。


実際にゼロにしている国もあるのだから、けして不可能ではありません。それをやらない政府は、利権だ何だで頭が回らないのか、絶望的に想像力がないのか。


いまだにコロナはただの風邪とか言う人もいますが、自分の家族や大事な人がコロナで亡くなったり後遺症で苦しんだりしても、そう言えるのか?と思います。感染しても適切な治療が受けられるならまだしも、医療が逼迫した状況では治療さえ受けられない場合があるのは、今でも変わらないのです。


感染拡大中で第4波が懸念される中、海外客は入れないにしても、海外からの選手、関係者、スポンサー招待客が10万から20万人入国するかもしれないと言われるオリンピックを強行するなんて、本当に狂っています。もうこの日本には絶望しかありません。


この一年、母の事を考えない日は一日たりともありませんでした。不自由な思いをさせたくないから、日々の天気や気温なども鑑み、タイムリーに春夏秋冬に合わせた衣服を送って来ました。今年はすでに20度を超える日が多くなってきたので、そろそろ春物を送ろうと思います。この分だと夏物も早いかもしれません。


世の中がどうであれ、母が元気で穏やかに暮らせますよう、今の望みはその事に尽きます。