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ツブヤキニッキ

父の命日

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【10月15日】


今日は父の命日。例によってコロナで、私はお墓参りにも行けませんでしたが、先日、長男夫婦がお参りに行ってくれたようです。


その時に実家に行ったら、建物の解体も進んでおり、今月中には終わるだろうとのことでした。この目で見なければ実感も湧きませんが、祖父が建て、父が継ぎ、そして私が産まれた家が、もうすぐなくなるんだなあと思うと、切実に寂しい思い。


写真は父と愛犬ちびた。実家の仏壇に飾ってありました。父が亡くなった年の春に、ちびたが亡くなりました。主人の後を追って飼い犬が死んだという話はよく聞きますが、うちはその反対。父の落胆がいかほどであったか。


祖父が鉄砲で猟をするのが趣味だったので、家には物心ついた時からポインターとかセッターだとかの猟犬がいました。犬と遊んだ記憶は全然ないのだけれど、家に犬がいるのは当たり前の風景だったのです。


しかし祖父も亡くなり、自分達も大人になって、しばらく犬を飼っていなかったのですが、一時期東京から実家に戻っていた私に、寂しいだろうと友人が産まれたばかりのちびたを連れて来てくれました。


私が貰ったのに、犬には家の主が分かるらしく、最後は父に一番懐いており、「犬は犬小屋で飼え!」と厳しかった父も、とうとう同じ部屋で寝るほどに。


雑種だけれど、とても利口な犬でした。犬の驚くべき能力について、ここにはあえて書きませんが、老齢で病気もあったちびたが、もう長くはないというので会いに帰った時、尻尾を振りながら、立たなくなった脚で一生懸命に立とうとする姿に、何時間も涙が止まりませんでした。


思い出して書いている今も、涙が溢れて来ます。最後は父の目の前で声を振り絞って母を呼び、父と母に見守られ、母の腕の中で安心したように息を引き取ったそうです。


以来、動物は飼っていません。その時の悲しみがいまだに癒えていないし、もう二度とそういう辛い思いをしたくないという気持ちだからです。私には耐えられないと思います。


父の命日なのに犬の話になってしまいましたが、正直、ちびたの命日は覚えていないのです。父と同じ年に死んだということで、父の命日とちびたの命日が合わさり、セットになっているのです。父にも異存はないでしょう。


家がなくなろうが、物がなくなろうが、父もちびたも心の中で生きています。本当の事を言えば、もう27年も経つのに、いまだに居なくなったとは思えずにいます。覚えている限り、ずっと私の心の中で生き続けると信じています。