す も も の 缶 詰

ツブヤキニッキ

ロバート・マキャモン『少年時代』


《Summer Reading》として読んでいた、ロバート・マキャモンの『少年時代』上下巻。

3度目の再読ですが、8月末から読み始め、9月下旬までかかってしまいました。とはいえ、文庫の上下で1000ページを超える大部の書です。最近の読書ペースからすれば、こんなものでしょうか。

アメリカ南部、アラバマ州のゼファーという小さな町を舞台に、12歳のコーリーという少年の約1年間くらいの物語ですが、たぶんにマキャモン自身の思い出も入っているのでしょう。いつしか主人公と作者が重なって見えるようになります。

これを《Summer Reading》に選んだ理由は、物語の最初の頃に描かれた輝くばかりの夏の描写が大好きだから。それも大人では感じられないキラキラした少年の感覚に、自分の子供時代の夏を郷愁と共に鮮やかに思い出すからです。

さらに舞台がアメリカ南部というのもキーポイント。アラバマには行ったことがないし、ルイジアナの空しか知りませんが、南部は気温も湿度も高いけれど、空は本当に青い!

最近の日本の(東京の?)夏の青くない空にうんざりして、あの青い空を思い浮かべながら、アメリカ南部の夏のイメージに浸りたいと切望してのこと。また青い空とは対照的に、夜の闇の圧倒的な濃さも魅力的です。

つまりマキャモンの作品は、こうした情景描写も優れていて、読み手はいとも簡単にアメリカ南部へと飛ぶことができるのです。

さて、内容は12歳のコーリーの成長物語ではありますが、そこはホラー作家として名を馳せたマキャモンのこと、単なる成長物語だけではありません。ホラーあり、ミステリーあり、ファンタジーありの盛り沢山な構成。

時にマキャモンが敬愛するレイ・ブラッドベリ的な部分もありますが、むしろブラッドベリ的に書いてくれてありがとうとさえ思います。

盛り沢山の内容ゆえ、人それぞれ好きな部分があると思いますが、私がこの本で最も感銘を受けるのは、父親に対する絶対的な信頼。子供、特に男の子は父親を見て、父親を倣って育つのだなと改めて思い、逆に父親の子供に対する無償の愛情にも胸を打たれます。

そのあたりは、やはりアメリカ南部の不朽の名作『アラバマ物語』を思い浮かべずにはいられませんが、南部生まれのマキャモンは、当然のことながら『アラバマ物語』の作者ハーパー・リーも敬愛していることを巻末で明らかにしています。

アラバマ物語』の父親像については、また機会を改めて書いてみたいと思いますが、この物語の父親はごく普通の人間で、強さも弱さも持ち合わせています。しかし、息子は父親に常に強くあって欲しいと願うのです。

常に強くあること、それがどんなに大変なことか、私も大人になった今は分かります。そしてコーリーも大人になり、ようやくそれを理解したようです。

しかしながら、子供にとって父親に憧れる事は幸せな事だと思います。他人と比べてどうこうではないのです。自分にとってのヒーローであればいいのです。父親がヒーローだと思える子供は、本当に幸せです。それは男の子だけでなく、女の子も同じだろうと思います。

この本はミステリーやホラーの要素もあるので、コーリーは心底怖い思いもします。絶対絶命の危機に陥った時、身の危険も顧みず、助けに来てくれたのは父親でした。その父と子の絆に、自らの体験を重ね合わせながら、言葉に表せない感動を覚えるのです。

子供を助ける父親の話はいくらでもあるでしょうが、弱い部分も見せていたごく普通の人間であるコーリーの父親が、いざ息子の命の危機に面して、死にものぐるいで助ける姿に、自分の父親の不器用ながらも深い愛情を思い、涙せずにはいられません。

9月に読み終えた時に書き始めたこの文章。途中で寝かせたまま時間が経ってしまったので、当初書きたかった内容からちょっと離れてしまったかもしれません。最後はどう締めくくるか、おそらくちゃんと考えていたはずですが、今となっては忘却の彼方。

また再読したら、違う感想もあるでしょう。それくらい盛り沢山な内容なので。ただ、毎回胸に残るのは、父親の無償の愛情のこと。そして失われてしまったキラキラ輝く夏のこと。それだけは何度読んでも変わりません。